日本における65歳以上の認知症の人の数は約600万人(2020年現在)と推計され、2025年には約700万人(高齢者の約5人に1人)が認知症になると予測されており、…(厚生労働省HPhttps://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_recog.html)
2040年問題という言葉があります。団塊ジュニア世代が高齢者となり、高齢者人口が最大となる2040年頃に、日本社会が直面するであろう諸問題のことを言います。2040年には、認知症高齢者数が1000万人弱に至るという試算もあります。
認知症患者は、社会においてありふれた存在となっていきます。しかし認知症患者にかかわった人なら誰でも経験があるように、その言動はときに不可解であり、心理的な面で遠い距離を感じることがあるはずです。そのような認知症患者をいかに理解し、社会に受け入れていくかが問題となっています。
以下に、医系小論文を教える国語科講師として、「認知症」を理解する上で参考になった書籍『マンガ 認知症』から引用文をいくつか紹介し、雑感や、小論文/面接に使えるポイントを記してみたいと思います。
ニコ・ニコルソン,佐藤眞一『マンガ 認知症』(ちくま新書)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC-%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/4480073221
記憶とアイデンティティ
さて、エピソード記憶の中でも、その人自身のアイデンティティを形作るような重要な記憶を自伝的記憶といいます。70代や80代の人に自伝的記憶を聞いた実験があるのですが、自分の人生について振り返るときには、10代後半から30代くらいのことをよく思い出すそうです。(p91)
「アイデンティティ」は現代文のキーワードとしてしばしば目にします。「自己同一性」、つまり「自分が自分であるための条件」の意です。
現代文で出会う中では、抽象的な概念で、「ほんまにそんなんあるんかいな?」と、実感がわかないものかもしれません。しかし、「記憶の量」として提示されると、アイデンティティってあるんだなと、思いませんか?10代後半(思春期)から30代くらい(青年期初期)の、自分を形成し確立したころの記憶量が顕著に多いのですね。
漫画の中では、おばあさんが「お米を大量に炊く」という行動を繰り返しとります。これも、「若いころに9人姉妹の長女として炊事を任されていた」というヒストリーから説明されます。そういえば、私の妻の祖母は「卵を大量に買ってくる」「金物を貯蔵する」といった行動を繰り返していたようです。理由を聞いてみたいですね。理由を聞くことは、その人の人生観や歩んできた軌跡を知ることにつながるのかもしれません。
私の祖母も、認知症の疑いがありましたが、上機嫌に、人名/地名の混線した昔話を披露していたのを思い出します(おそらく思春期・青年期の記憶のチャンプルー)。認知症がなければ掘り起こされなかった、語られなかった記憶というのもあるのだと思います(真偽のほどはさておき)。
私自身が認知症になったら、何を語るのでしょう?と考えたら、あんなことやこんなことや、今から戦々恐々としますね。
認知症患者への投薬
今の縦割り医療では、精神科医や内科医が別々に診断して別々に薬を出しますから、どうしても薬の量が増えていきます。また、医師は基本的にケアをしませんから、「この症状に薬は出しませんから、このような介護で工夫してください」とは言えません。どうしても、介護する人の負担を考えて、薬で抑えてしまうのです。
もっともっと高齢者医療に詳しい総合診療専門医を増やし、一人丸ごとの治療やケアを把握して適切な投薬を行えるようになるのが、望ましい認知症医療の在り方だと思います。(p57-58)
いわゆる「ポリファーマシー」の問題に触れていますね。投薬量が適切にコントロールされていないと、患者のQOL低下や、財政的には医療費の増加を招いてしまいます。
また「総合診療医」とは、「患者さんの心身の健康面、家族関係、就労・経済状況などを多角的に診て、その人が望む暮らしを送れるように、あらゆる専門医や協力者と連携しその解決にあたる」医師のことをいいます。(http://sogoshinryo.jp/career/faq/ 日本プライマリ・ケア連合学会HPより引用)
高齢の患者は複合的な疾患を抱えている可能性が高いため、まず多様な病気・症状に対応できる臨床能力が求められます。そうした能力を持つ医師が、高齢者の健康を全体的に把握できる体制が望まれているわけですね。
特に、認知症の場合は症状が家族に与える影響が甚大でしょう。そのため、家族へのケアも、適切な機関との連携のもとに行われなければなりません。総合診療医は高齢化、認知症患者の増加に伴って、需要が増大している専門領域です。
帰宅願望
高齢者施設の場合、入所して二、三ヶ月にわたって「家に帰りたい」と訴えたり、外に出ていってしまうことがよくあります。これを入所時不適応といいます。入院などでまったく違う環境に行くと、誰でも最初のうちは居心地が悪いものです。「いつからいつまで」とわかっていれば我慢ができますが、施設入所の場合はそうもいきません。認知症の人はいつでも、居心地の悪さから、ここは自分のいるべき場所じゃない、戻るところがあるはずだと思っているのだと思います。孤独感や退屈感、不安感が、帰宅願望を生み出すのです。(p171-172)
本書では、「見当識障害」が認知症の重要な症状として説明されます。見当識障害とは、時間・場所・人といった、自分を取り巻く状況が理解できなくなる症状です。漫画では、おばあさんが「家に帰りたい!」と、家にいるにもかかわらず泣いて訴えています。しかしここでいう「家」とは、「今いる家」にすぎません(叙述トリックみたいですね)。おばあさんにとっての家とは、「引っ越す前の家かもしれないし、子ども時代に住んでいた故郷の家かもしれない」と説明されます。
私の妻の祖母は高齢者施設に入所しています。妻の実家に帰省するたびに会いに行っていますが、「家に帰りたい」という願望を聞いたことはありません。
ある種、施設に連れてこられた高齢者の「家に帰りたい」という訴えは、しごく当然なもののように思います。長年住んできた場所=家は、今いる施設とは他に、確かにあるのですから。しかし、「自分のいるべき場所がある」という認識が残っている方が幸せなのか、新たな環境に慣れ、その場所を「家」と認識できるようになる方が幸せなのか。少なくとも当人の幸せを軸に考えるべき問題なのかな、と思います。
映画『ファーザー』
認知症×叙述トリックめいたハナシといえば、『ファーザー』という映画がおすすめです。
【ファーザー】
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC-DVD-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%97%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9/dp/B0989SSYXY/ref=pd_sim_sccl_2_1/355-0509535-6773359?pd_rd_w=179rH&pf_rd_p=eecb97d7-c34c-476b-96ca-1f5bc72fd0be&pf_rd_r=YVS173CNRPZ6BTTP1PHP&pd_rd_r=d53f7062-40a9-4d6f-8da0-6c956b7b8a76&pd_rd_wg=CsSjF&pd_rd_i=B0989SSYXY&psc=1
アンソニー・ホプキンス主演。2021年度のアカデミー賞で脚本賞、主演男優賞を獲得しました。私にとっては『羊たちの沈黙』のレクター博士役(沈着冷静な殺人鬼)としての印象が強いのですが、本作では認知症を患った老人としての怪演を観ることができます。
サスペンスドラマですから、筋書きの細部には立ち入りませんが、この映画を印象付けるのは「現実の崩壊」です。まさに見当識障害の万華鏡的世界。といいつつ、まったく耽美的ではなく、いやーに現実的です。ぜひあわせてどうぞ。
まとめ
以上、最後は脱線して映画の話になりましたが、『マンガ 認知症』の紹介をいたしました。
われわれが認知症に対してできることは、「想像」と「理解」ではないか、と思います。その人がどのように感じているか、何を見ているのか、何に怯えているのかに思いを馳せること。そして科学的な知見に則りつつ、なぜそう感じているか、なぜそう見えるのか、なぜそれに怯えているかを探究すること。京都医塾を卒塾し、将来医療の最前線に立つ医学部受験生にも、そのようなマインドをぜひとも涵養してもらいたいと願っています。そういう意味で、豊かな考えに広く触れられるよう、京都医塾では書架に良質な書籍を揃えています。