皆さん、こんにちは。本日は円町校の江島がお送りさせていただきます。
今日は… “くだらないもの” とは?というタイトルで進めていきたいと思います。「もうネタ切れか」とか「これそのものがくだらない」とか感じた方もいるかもしれませんが、思っているよりためになる話をご用意しておりますので、せっかくだから読んでみてください。
「くだらない」の意味
まず “くだらない” の意味ですが、「真面目に取り合う価値がない」とか「程度が低くてばからしい」という意味があります。皆さんさすがにご存じですね。では、なぜこのような意味を持つようになったのでしょうか。これには、江戸時代における社会経済史が密接に関係しているのです。
「くだらない」のルーツは江戸時代にあり
いつも通り歴史のお話にお付き合いくださいね。江戸時代は、交通網が大きく進化する時代なんですね。陸上交通は基本的に「人」が移動するもの。それに対し水上交通は「モノ」を運ぶ手段として重要な役割を果たしてきました。江戸時代で押さえるべき海上ルートは、3つあります。1つ目は、北海道から反時計回りに、東北、北陸、中国地方、九州、四国を通って、最終的には「天下の台所」と呼ばれる大坂にたどり着く、通称 “西廻り航路” と呼ばれるルート。これが群を抜いて大事です。2つ目は、東北地方から江戸に直接ルートを敷く、 “東廻り航路” と呼ばれるもの。江戸に直接行けるんだったら、こっちの方がメインじゃないの?と思われるかもしれませんが、西廻り航路はカバーしている地域の数が違いますね。だから絶対に西廻り航路の方が圧倒的に重要。でもこれじゃ、大坂に集まってきた全国の特産物を江戸に運ぶルートが不足しているように感じますね。当時、京都や大坂は、30万人~40万人ほどの人を抱える都市ですが、江戸は100万人を超える世界有数の大都市だったのです。江戸の民は、全国の特産物だけじゃなく、伏見や灘で造られた質の良いお酒も飲みたいと思っているでしょう。ということで、大坂から江戸の一方通行(行きは荷を積み、帰りは空っぽというイメージです)ラインを作りました。これが3つ目の “南海路” と呼ばれるものです。このルートを行き来していたのが、有名な菱垣廻船や樽廻船、そして内海船でした。
わざわざ特別にルートを作って運ぶくらいなのだから、南海路を通って運ぶものは、 “それ相応に価値のあるもの” であるはずですね。それらの要は「高級品」を、「下りもの」と呼んでいました。京都や大坂のことを当時、「上方」と呼んでいたため、上方から江戸へ「下る(べき)もの」という意味でそう呼ばれていました。ここまで来れば、もうみなさんおわかりですね。江戸に運ぶに値しない、関西弁でいうと「しょーもない」品を、 “くだらないもの” と呼ぶようになり、それが現代にまで生き残っているというわけです。
最後に
いつもは神社仏閣の紹介にあてている日本史話を、本日は趣向を変えて皆様にお届けしました。由来そのものは受験に出るものではありませんが、「知識の紐づけ」をいかに上手に出来るか、暗記科目のコツはここにあります。出るとこだけ覚える=最短ルートだとは、僕は思いません。肩の力を抜いて頑張っていきましょう。
本日はここまでにしておきます。以上です。お疲れさまでした。