あなたが「医師になりたい」という夢を抱いたのはいつですか?
「医師になる」ためには、6年間、医学部で学んで卒業し、医師国家試験に合格する必要があります。
そして、臨床研修で実務経験を積むことになります。
京都医塾は大学受験のための予備校ですが、
「医学部に合格すること」はゴールではなく、あくまで通過点だと考えています。
じつは、京都医塾では、国公立志望/私立志望にかかわらず、国語の授業が年間通して設定されています。そこでは、1対1の面接・集団討論・小論文や志望理由書の書き方など各種対策を進めながら、さまざまな医療テーマに触れることになります。
・ 自分の頭で考え、それを他者に伝える。
・ 他者の意見を聴いて、自分の考えを深める。
そうして、「医師になる」という「決意」を固め、医学部に合格したあとの短くはない道のりを、前を向いて歩み続けられる力を身につけてもらっています。
このブログでは、実際に「医師になる」という夢を叶えて、医療現場でご活躍されている
全国のスーパードクターのみなさまにインタビューして、
・ 医師になったきっかけ
・ 現在のお仕事のやりがい
・ 医学部を目指す受験生へのメッセージ
について、お伺いしていきます。
受験生のみなさんが、医師として働くイメージを広げる一助となれば幸いです。
【 髙橋公一医師 プロフィール 】
出身大学:埼玉医科大学
勤務先 :医療法人社団 高栄会 みさと中央クリニック
診療科 :消化器外科(外科、胃腸科、肛門科、循環器科、内科、在宅診療)
埼玉県三郷市出身。認知症の祖父の姿を見て、高校1年生の頃、医師を目指すことを決意。
2008年「みさと中央クリニック」開院。
「名医のいる相談室」にもご出演中
□ YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCUxW5dvUs0y7sMELkpyRJHQ
□ PodcastQR
https://podcastqr.joqr.co.jp/programs/superdoctors/episodes/96f9fee1-f26a-4e6f-83a6-9afa4d158558
「医師になる」と決意したのはいつ?
京都医塾)医師になりたいと思ったきっかけやエピソードについて教えてください。
髙橋先生(以下、髙橋))認知症の祖父の姿を見たことがきっかけです。私が物心ついたときから、父方の祖父は認知症で町中を徘徊するほど病状が進行していました。父の話では、祖父は県の教育委員会などにいた人で、教育の為に尽力した人だったと聞いています。その祖父が、認知症の病状が進むことによって、介護をしていた祖母に暴力を振るうようになってしまいました。自分の奥さんだということがわからなくなって自宅で介護をすることができなくなり、祖母を説得して泣く泣く祖父を病院に入れることになったんです。
京都医塾)ご自宅での介護は本当に大変ですよね。優しかったおじいさまが認知症で暴力を振るような状態になってしまって、ご家族も辛い決断だったと思います。
髙橋)そうですね。当時は介護老人施設というものがなかったので、知り合いのお医者さんに頼み込んで、精神病院に入院させてもらうことになりました。
認知症の進行により、食事がとれなくなって、祖父が徐々に弱っていきました。高校1年生の頃だったと思います。ある日、学校で授業を受けていると、家族から「おじいちゃんが亡くなった」と電話がありました。病院に行くため帰り支度をしていると、再度学校に連絡が入り、「今、おじいちゃんが息を吹き返したから、最後まで授業を受けなさい」と父に言われました。私が授業が終わって父に連絡すると、「私たちは今おじいちゃんのところに行ってきたから、今度は公一ひとりでお見舞いに行ってきなさい」と言われ、その状態になって私一人で精神病院を訪ねました。鉄格子の中で、1・2時間、祖父と二人きりで過ごしました。その間、ずーっと「なぜ、祖父はここで最期を迎えなければならないんだろう…」と考えていました。このとき、精神疾患ではない人が精神病院に行かなければならないという現実、他の疾患も含めて家では手に負えなくなっている患者さんがたくさんいる現状を目の当たりにし、病状的にも社会的にも受け入れ先のない患者さんたちをどうにか助けることはできないかと思うようになり、医者を志しました。
京都医塾)認知症の方への対応が今とは大きく異なっていたのですね。髙橋先生は、それまでは医師になろうと思っていらっしゃらなかったんですか?
髙橋)私の父は医師ではなく、経営者でしたから、そのときまでは、自分はその跡を継ぐものだと思っていました。当時は知りませんでしたが、父は私を医師にすることが夢だったのだと後から聞きました。自分は医師ではないけれども、しっかりとした教育をすることで我が子を医師にすることができるのだと思っていたに違いありません。教育の仕事に尽力した祖父から父が若い頃よく聞いていた「子どもには、借金をしてでも、しっかりとした教育を与えなさい」という教えに通ずるものがあったと思います。ただ、私が自分から医師になりたいというまでは父も母も「医師になりなさい」「勉強しなさい」とは言いませんでした。
京都医塾)そうだったんですね。ご両親ともに子どもを医師にしたいという希望を持っていながら、直接的には言わずに見守っておられたということですね。
髙橋)子どものころは、「父の跡を継ぎなさい」と教わっていました。「自分の跡を継いで社長になるのだから、間違ったことをしてはいけない。勉強しなくてはならない。嘘をついてはならない。人に慕われる人物であらねばならない。」と父は私によく言っていました。あとから父に聞くと、自我が芽生える前の小学生になるかならない時期には、なぜ嘘をついてはいけないのかなど人としての道理を示すために、そういう風に教えていたんだよ、と話していましたね。自我が芽生えてからは、父の跡を継ぎたいとなるか、もっと頑張って勉強して他の職業に就きたいとなるか、分かりませんが、それを尊重してあげたらいいわけですから。
じつは僕は小学3年生の頃に公立から私立に転校しているんです。父の考えで、中学入試をしたり、医学部受験をしたりするのが普通なんだと思えるように周りの環境を整えるという意味があったようです。結局、僕も中学入試をして、獨協中学・高校に進学しました。獨協高校からは、3分の1が医歯薬系に進んでいましたし、友人にも開業医の子どもさんも多かったこともあり、医師を目指すことは特別なことではない、と思えましたね。
京都医塾)髙橋先生のお父様のお考えや教育の方針は、今、受験生を見守る保護者さまにも是非お伝えしたい内容ですね。自然に勉強をする環境を整えたことで、髙橋先生の進路決定にも大きく影響を及ぼしたということですね。どんな学生生活を過ごされましたか?
髙橋)高校時代はバンド活動に明け暮れていました。一方で、やりたいことをやらせてもらうためには、やるべきことを手を抜かずしっかりこなす必要があったので、成績は恥ずかしくない点数を取るということが大前提でした。遊びも勉強も一生懸命やりましたね。バンド仲間も成績上位者が多く、そうなると「髙橋がやるならいいよ」と学校の先生からも応援してもらえました。
京都医塾)「やりたいことをやらせてもらうためには、やるべきことを手を抜かずにやる」なかなか実践するのは難しいと思いますが、日々の努力で、周りに応援してもらえる環境を自ら作っていくというのは、学生のときであっても、働き始めてからであっても、すごく大切なことですよね。
医師として働くということ
京都医塾)学生時代から、将来働きたい診療科は決まっていましたか?
髙橋)祖父の姿を見て医師を目指すようになったので、学生時代は精神科に興味がありました。しかし病院実習の際、採血や検査など数値で線引きのできる他の疾患と異なり、精神疾患は病気の境界線が難しく、病気の判断の仕方が私には向かないと思うようになりました。その後、医師免許をとった直後も決めかねていましたが、当時私がいた埼玉医大の外科は心臓も肺も消化器も全て診るオールマイティな科でしたので、一般外科を選択し、全部を診る中で経験を積む道を選びました。
京都医塾)実際に実習を経験して、希望していた診療科のことを詳しく知ったうえで、自分には向いていないと感じる部分があり、他の診療科に進むことを決意されたのですね。
では、現在のお仕事内容を教えてください。
髙橋)0歳の予防接種から100歳を超える高齢者まで幅広く診察を行う一般外来と、小児から高齢者までの在宅診療を担うハイブリッドなクリニックを経営する医療法人の理事長をしています。
京都医塾)医師として働くやりがいを感じられるのはどんなときですか?
髙橋)病院での長い療養期間を経て、やっと自宅に帰って来ることのできた患者さん(特に医療的ケアが必要で、病院外で診ることが容易ではない患者さん)を在宅で診るときにやりがいを感じます。
大学病院では、心筋梗塞の患者さんが運ばれてきて、手術をして、数日後には元気に歩けるようになったりして、ドラマティックに思えるような場面がたくさんあったんですが、地域医療に携わるようになってから、そういった手術をされる患者さんよりも、手術ができない、病院に運ばれない患者さんの方が何倍もいらっしゃるんだということを感じています。たとえば、摘出すれば絶対に良くなるんだろうなと思われる胃がんの患者さんでも、過去に心筋梗塞を経験されていて、すごく心機能が弱っているから、全身麻酔に耐えられないので手術ができないという判断をされたりする。たとえば、若年性アルツハイマーのために手術に関する説明をしっかり理解できない、暴れてしまうなどの理由で手術を受けることができないと判断されたりすることがあります。そういった人たちがたくさんいるんだということを知り、その中でも何かできる限りのことをして良くなってもらいたいと思っています。在宅NST-Nutrition Support Team -(栄養サポートチーム)の取り組みもその一環です。
京都医塾)手術を受けたくても受けられない方がそんなにたくさんいるなんて今まで知りませんでした。在宅NSTについてもう少し教えてもらえますか?
髙橋)私は2年ほどアメリカのジョンスホプキンス大学に外科留学し、移植免疫学を学びました。帰国後、埼玉医科大学消化器一般外科に復職し、チーフレジデントを終了。その後、出向した民間病院で患者さんの栄養をサポートするための栄養治療、NST(Nutrition Support Team)を立ち上げたんです。術後の患者さんに栄養療法を施すことで、回復に大きな効果があることを確信しました。
大学病院で手術ばかりして「外科医」として働いていたころは、栄養治療が自分の仕事だとは考えもしませんでした。しかし、民間病院へ出て、「お医者さん」としてこの仕事に関わってみると、自分が患者さんにしてあげられることは、こんなにもたくさんあるのだと実感することができたんです。しかもそれは患者さんだけでなく家族の方々も、求めているものだったんですね。NSTを開始したことで、患者さんの傍らで治療をおこなえる喜びと、地域医療に従事出来る感謝の気持ちを持つことができました。そしてそれを支えてくれる医療スタッフや、同期や先輩などNST を担うたくさんの仲間に出会うこともできました。
【出典:院長コラム~外科医としてNST医師として~http://www.misatochuoclinic.com/column.html】
京都医塾)ありがとうございます。大学病院と民間病院をどちらもご経験されたからこその気づきというのもあったかもしれませんね。在宅診療には医療チームの連携はもちろんですが、病院での診療以上に患者さんだけでなく、ご家族とのコミュニケーションも大切になってくるということが分かりました。
医学部を目指す受験生のみなさんへ
京都医塾)これから医学部を目指す受験生に応援メッセージをお願いします!
髙橋)私は、「ひとつのことを貫き通すこと」を大切にしています。それが自分の自信や周りの人たちの安心につながると考えているからです。例えば、受験勉強では、いろんな参考書を解くのではなくて、同じ問題集を何度も繰り返して解くことをおすすめします。何度も繰り返す中で、同じ問題を間違うこともありますが、解くスピードが上がっていきます。国家試験の勉強もそうです。過去問を何回も何回も解いて頭に刷り込むこと、問題解決の速度を上げることを意識して勉強していました。また、現在の仕事においても、医業に特化したクリニックを目指しています。医療的ケアが必要なより重症な患者さんたちに数多く対応できるようにしたいと思います。
自分がやってきた努力が報われないことは誰でもあります。でも、だからといって努力をやめないでください。それでも自分ができることを最大限、丁寧にやりつづけること。
自分に起こっていることはきっと全て良いことだと信じる事です。きっと最終的にはめぐりめぐって自分にとっていいことが起こります。多少うまくいかないことがあっても、自分を信じて努力を続けてもらいたいと思います。
おわりに
受験勉強においても、医師として働き始めてからも「ひとつのことを貫き通すこと」が大切だと語ってくださった髙橋先生。
やりたいことをやらせてもらうために、やるべきことを手を抜かずにやる。
そうすると周りも自分がやりたいことを応援してくれますよ。というお言葉が印象的でした。
髙橋先生の経験を参考に、医学部合格を目指していきましょう!
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