近年、国立私立医学部の募集定員約9,000人に対する志願者数は12万人を超え、
この少子化時代に志願者数は増加し、医学部人気が続いています。
医学部に合格することは、簡単ではありません。
あなたは、受験が近づくにつれ、「今、自分がしている勉強は、この努力は報われるのかな」と不安になることありませんか。
そんな不安を解決するために、今回は、現役で腎臓内科医としてご活躍されている坂口医師に受験期を振り返りながら、勉強との向き合い方、努力についてお聞きしています。
【坂口隆志医師 プロフィール】
出身大学:横浜市立大学
勤務病院:関東労災病院
診療科:腎臓内科
大阪出身。内科医であるお父様の影響で、医師の仕事に興味を持つ。幼少期にお父様の仕事を見学し、「僕も父のように頼られる医師になりたいな」と思い、医師を目指す。
「医師になる」と決意したのはいつ?
京都医塾)学生時代を振り返ってみて、どんな生徒でしたか?
坂口)小学校の時は大阪の田舎に住んでいて、地元にある小さな塾に通っていました。中学からは、中高一貫の学校に通い始めました。中学校では、テニス部に所属していましたが、部活に入れ込んでいたわけでも、勉強が得意ということもない、中学生でした。
京都医塾)その当時は、医師になるという想いはぼんやりとありましたか?
坂口)そうですね、父が医師で、実家が内科だったので「僕も医師になれるといいな」と思っていました。「医師になる」と決めて勉強を始めたのは中学3年の頃でした。
京都医塾)なにかきっかけがあったのですか?
坂口)地域健診のボランティアをする父の仕事を見学したとき、たくさんの人に囲まれて仕事をする姿を見て、「僕も父のように頼られる医師になりたいな」と思い、医師を目指そうと思いました。
京都医塾)実際に働く姿をみたことがきっかけになったんですね、
坂口)いざ目指すと決めたのはいいですが、当時進路相談をした学校の先生からは、「正直、医学部を狙うのは難しいんじゃないか」と言われてしまいました。
京都医塾)そこから成績が伸びたきっかけを、教えてもらえますか。
坂口)中学3年生で、新しい塾に通い始めたんです。そこでも、ABCとあるクラスのうち、Cクラスで、医学部なんて夢の先という感じでした(笑) 塾では、周りの生徒と自分の差が圧倒的で、「学校の勉強をしているだけでは足りないな」と思うようになりました。
京都医塾)そこから勉強に対する意識が変わったんですね。
坂口)塾の授業もテキストもハイレベルで、死に物狂いでついて行っていました。しんどい環境に身を置いて、劣等感を感じながら常に勉強をしていました。でも、その当時は危機感しかなかったので、まったくさぼろうとはおもいませんでしたね。
京都医塾)お話をお伺いしていると、我慢強さを感じます。
坂口)自分でも、意外とできるなと思いました。その結果、塾のクラスはAまで上がり、現役で、私立医学部に合格できました。
京都医塾)ご出身は、横浜市立大学ですよね…?
坂口)そこに間違いはありません(笑) 国公立に合格することが目標で、しっかり勉強をしていた分、悔しい思いが大きかったんです。なので、進学せずもう1年頑張って、絶対国公立医学部に合格すると決めて、浪人することにしました。
京都医塾)なにかご算段があったのでしょうか。
坂口)現役時代の勉強を経て、受験において、勉強の才能の差は絶対に存在するけど、自分にできることは努力しかないと気づきました。「限られた時間の中でどれだけ勉強ができるか」は自分次第なので、浪人中はそれを意識していました。
京都医塾)現役生から浪人生になって、勉強法は変わりましたか?
坂口)まず、授業中心の勉強から、自分の勉強の質が上がるように自習中心のスタイルになりました。
京都医塾)勉強の質を上げるというのは…?
坂口)現役時代に勉強をしていた分、授業で知っていることを習う時間が多かったんです。1年と限られた時間の浪人生活で、聞くだけの受動的な勉強だと、本番までの時間が足りないなと考えました。なので、自分の分からないところを重点的に問題集を使って勉強しました。
京都医塾)自習中心となると、ご自身で時間管理は大変だったでしょう?
坂口)家では集中が続かないことを分かっていたので、自分でスケジュールを立てて、いかに勉強時間を確保するか、もはや自分との勝負でした。 なので、朝から晩まで、自習室が開いている時間はずっと塾にいて勉強していました。
京都医塾)迫る試験までの期限と、自分がどれだけ知識を詰めれるかの戦いですね。
坂口)隙間時間も勉強を徹底していました。通塾に1時間かかるのですが、その時間電車でずっと単語帳を読んでいました。友達と話しをしたい気持ちもよく分かるのですが、それが積みあがるととんでもない時間のロスになりそうだなと思って、単語帳が友達でしたね(笑)
京都医塾)一年で合格するぞ、という鉄の意志を感じます。モチベーションはなんでした
坂口)オンオフは自分でスイッチを握ってきっちりやっていましたが、やっぱり、辛いし、「浪人は耐える1年だ」という意識はありました。大学生になったらもっと楽しく自由が増えるって思っていたので、「この時期に耐えて合格すれば、今したいことも大学生になっていくらでもできるぞ」みたいな未来の自分をモチベーションにしていました。
研修医から専門医になるまでの道のり
京都医塾)ご自身の研修医時代についてお伺いできますか。
坂口)職業体験じゃないですけど、「この科の医師になったら、将来自分はこんな風に働くんだなぁ」と、どの科も新鮮で楽しかったです。実際に先生方から様々な科のことを教わる中で、どの科で習ったことも活かしたいと思うようになりました。
京都医塾)そこから腎臓内科を選ばれた決め手はなんでしたか。
坂口)腎臓はあらゆる臓器と深く関わっていますし、ここだ!と思いました。
京都医塾)どの科で習ったことも活かすことができる診療科が、腎臓内科だったということですね。
坂口)腎臓内科では、バランスよく全体を見ることができることが必要で、実家を継ぐにあたって内科医として恥ずかしくないように成長したい、という思いもあり腎臓内科を選びました。
京都医塾)時を経て、現在もご活躍されています。医師として、やりがいは見つかりましたか?
坂口)2つあります。まずは、自分が専門性をもって腎臓の相談を受けることができること。
京都医塾)頼られる医師で居続けるということですね。もう一つはなんですか?
坂口)その人の人生の病気に寄り添っていけるところですね。40歳の患者の末期がんの方の透析患者さんを持たせてもらって、身体への負担が少ない腹膜透析という透析を選んで、よりよい最期を過ごさせてあげることができました。奥さんからお礼の手紙を頂戴した時に医者冥利に尽きると思いました。
医師を目指す人たちへ
京都医塾)未来の医師になる人に必要な素質はなんだと思いますか?
坂口)継続して努力する素質ですね。医学生になっても、医師になっても勉強は続きます。もう一つ重要なこととして、社会人としての礼儀や、 医師としてコメディカルを尊重する人格も必要です。意外と思われるかもしれませんが、大学生時代の部活や友人との食事で培う、コミュニケーション能力や人と人の繋がりを大切にすることも大切です。
京都医塾)最後に受験生へのメッセージをお願いいたします。
坂口)勉強するもしないも自分次第ですが、自分の努力で未来は変わります。「今のこの勉強漬けの毎日が本当に自分の未来を変えるのかな」と心配になっている方、諦めず、その努力を続けてください。 数年後、「受験期の日々は、何かひとつの目標に向かって努力を極めれる人生でも貴重な過程、経験だった。結果も大事だけど、過程も同じぐらい尊かった。」と気づくはずです。頑張るべき時に頑張るのは大事、応援しています!
まとめ
受験期に努力し続けた坂口医師の想いがこもったメッセージですね。
このインタビューが、頑張る皆さんへの後押しになると嬉しいです。
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