京都医塾化学科の榊原です。
このシリーズでは、入試問題で扱われている種々の化学反応のうち、大掛かりな実験装置を必要とせず、授業内で簡単にやって見せられる演示実験を取り上げて紹介していく予定です。さて、第2回のテーマは…
2019年度の近畿大学医学部の推薦入試の問題のⅠ 問(2)の設問中に、
実験で誤って硫酸酸性にせずに滴定を行った結果、【溶液中に褐色の沈殿が生成し、過マンガン酸カリウムの滴下をやめても泡がしばらく出続けた。】
という記載があります。今回はこの問題を取り上げて、過マンガン酸カリウム滴定(他、一般に酸化剤を用いた滴定)
において、実験を硫酸酸性で行う意味を確認したいと思います。
実験の目的
高校課程で学習する標準的な酸化還元滴定に、過マンガン酸カリウム滴定があるが、通常コニカルビーカー、もしくは三角フラスコに入れる、これから酸化する物質(過酸化水素水、シュウ酸水溶液、硫化水素の水溶液等々)に必ず硫酸を加え、酸性の条件下において滴定実験を行う。過マンガン酸カリウム水溶液に限らず、一般に酸化還元滴定は酸性の条件で行うのが普通だが、何故、酸性で行わなければならないのか。また、特に過酸化水素水の濃度を過マンガン酸滴定で求める場合、硫酸酸性条件で無いと、滴定そのものが無駄になってしまうのだが、それは何故か。目の前で起こる現象を確認する事で、理解を深めてもらう。尚、現象を確認させるのが目的なので、煩わしい定量は行わない。
準備したもの
① 過マンガン酸カリウム(黒紫色の固体;粉末状結晶)少量※1 ② 水※2
③ オキシドール(過酸化水素(H2O2)2.5~3.5w/v%含有;薬局で購入) ④ 硫酸(昔薬局で普通に購入したもの)
⑤ コニカルビーカー(100mL容)2個 ⑥ 駒込ピペット 2本 ⑦ ろ紙、ガラス棒、キッチンペーパー等
実験手順・結果
1. 過マンガン酸カリウムをごく少量、あらかじめ透明な試薬瓶(ガラス瓶)中に取って置き、ガラス越しに光沢のある黒紫色、粉末状結晶である事を確認してもらう。
2. 1.のガラス瓶に水を注ぎ、黒紫色の結晶が水に溶けて赤紫色に変化する様子を観察してもらう。1.で用意する過マンガン酸カリウムの量を加減する事で、水溶液の色調を変えられる。ワインレッドと呼ばれるように、赤ワインと 同じ位の色調を見せたければ少し多めに用意するとよい。逆に初めから淡赤色(ピンクに近い色調)を見せたい場合はかなり少量に止めなければならない。ごく少量で色調的にはかなり濃い赤紫と感じる筈。
3. オキシドールをコニカルビーカーに取り、希釈する。過酸化水素の濃度を仮に3.0w/v%※3と仮定すると、モル濃度に換算しておよそ8.8×10-1mol/Lと計算できる。問題ではメスフラスコを用いて20倍に希釈しているので、問題文の状態を再現するならば、コニカルビーカーの目盛りを利用して20mLのオキシドールを水で薄めて100mL(5倍希釈)にしたものを、別のコニカルビーカーに20mLとり、再び水で薄めて80mL(4倍希釈)にすればよい。※4
ただ、現象を確認させるだけが目的の場合はオキシドールの濃度が高い方が滴定時の発泡(酸素発生)が確認しやすいので、最初の5倍希釈ぐらいで行うのも有り。いずれにしても目的に応じて実験に使用するオキシドールの濃度と使用量を予め決めておかないと、ここばかりはぶっつけ本番という訳にはいかないので、予備実験を入念に行っておく必要がある。(参考;問題文の再現の場合だと、仮に過マンガン酸カリウム水溶液の濃度を2.0×10-2mol/L、問題文にある試料15mLを滴定するとして、滴定値は13.2mLと計算される。この程度ならば、手際よく進めて駒込ピペットでも滴定の終点(=過マンガン酸カリウムの赤紫色が消えなくなり、溶液全体が薄い赤色(淡赤色)を呈したところ)までの変化を確認させる事も可能。滴定時の酸素発生をダイナミックに見せたいならば、濃い水溶液を大量に用いれば良いのだが、終点の確認は諦めた方が良い。終点までに要する試薬の量、時間が膨大になることは言うまでも無いだろう。
4. 2.で調整済みの過マンガン酸カリウム水溶液を駒込ピペットを用いて、硫酸を加えた試料と加えていない試料に それぞれ滴下して起こる現象の違いを確認させる。
5. 硫酸を加えた試料の方は滴下した過マンガン酸カリウム水溶液の赤紫色がすぐに消えるが、硫酸を加えていない 試料の方は酸化マンガン(Ⅳ) (二酸化マンガン) の生成により暗褐色に濁ると同時に発泡する※5様子が確認できる。
考察
過マンガン酸カリウム水溶液と過酸化水素の反応は、
(硫酸酸性下) MnO4-+8H++5e- → Mn2++4H2O ・・・ (1)
(中性、弱塩基性下) MnO4-+4H++3e- → MnO2+2H2O ・・・ (2)
H2O2 → O2+2H++2e- ・・・ (3)
化学反応式は、(1)×2+(3)×5より (中略) 2KMnO4+3H2SO4+5H2O2→ K2SO4+2MnSO4+5O2+8H2O
(硫酸酸性下) ・・・ (ⅰ)
(1)×2+(3)×3より (中略) 2KMnO4+H2SO4+3H2O2→ K2SO4+2MnO2+3O2+4H2O
(中性、弱塩基性下) ・・・ (ⅱ)
また、 H2O2+2H++2e- → 2H2O ・・・ (4)
(3)+(4)より (中略) 2H2O2→ 2H2O+O2 (MnO2を触媒としての自己酸化還元反応) ・・・ (ⅲ)
すなわち、硫酸酸性下では過マンガン酸カリウムは酸化剤としての能力を最大限に発揮してKMnO4 1molあたりH2O2 2.5molを分解してO2 2.5molを発生させる..(ⅰ) のに対し、硫酸を加えずに過マンガン酸カリウムを用いた場合はKMnO4 1molあたりH2O2 1.5molを分解してO2 1.5molを発生させるに留まる。..(ⅱ) ただし、生成したMnO2はH2O2分解の自己酸化還元反応..(ⅲ)を促進する触媒としてはたらくため、過マンガン酸カリウム水溶液の滴下を止めても、残ったH2O2 を分解し尽くすまで反応は止まらない。問題文ではH2O2 が勝手に分解してO2 を発生しているのを尻目に過マンガン酸カリウム水溶液の滴下を続け強引に滴定量を定めている点に無理があると思うが、O2 の発泡が治まり、滴下した過マンガン酸カリウム水溶液の赤紫色が消えなくなる点を終点とすればよいので、不可能では無いだろう。ただし、(ⅲ)式によってH2O2 が勝手に消費されてしまうため、通常の酸化還元滴定のように(ⅰ)式、(ⅱ)式で表される各物質のmol数の関係のみからH2O2の濃度を求める事ができないのは言うまでも無い。
さて、過マンガン酸カリウムに限らず一般に酸化還元滴定は硫酸酸性下で行うが、「何故、酸性条件にする必要があるのか?」の問いに関しては、『酸化剤がその能力を遺憾なく(余す事無く)発揮するためには水素イオンが必要だから』とつい書きたくなってしまう。擬人化しての表現と見られて望ましくないとされるのがオチなのだろうか?『遺憾なく』⇒『十分に』、あるいは『完全に』が無難な表現なのだろうが、つい物足りなく感じてしまう。また、酸化剤が一般に過酸化物が多いからと言って、『余計な酸素を水にするために水素イオンが必要だから』というのは行き過ぎだろう。
もし、酸化剤が具体的にニクロム酸カリウムならば,イオン反応式2CrO42-+2H+ ⇄ Cr2O72-+H2Oにより、『酸化力をもたないクロム酸イオンCrO42-が酸性条件で初めて酸化力を持つニクロム酸イオンCr2O72-に変わるから。』等の解答が可能だろうし、「意味も解らず丸暗記」の解答を減らせると思うのだが、白紙答案が増えるだけ?
また、「酸性にするために塩酸や硝酸を用いる事ができず、必ず硫酸を用いる理由」も定番の出題で、目一杯丁寧に解答するならば、『塩酸は過マンガン酸カリウムによって酸化され、2Cl- → Cl2 + 2e- の反応によって塩素が発生するため滴定値が真の値よりも大きく出てしまうし、硝酸は過マンガン酸カリウムに代わって還元剤を酸化してしまうNO3- +4H++3e- → NO +2H2O ため、滴定値が真の値よりも小さく出てしまうから、酸化還元反応を起こさない硫酸で水素イオンを供給するのが良い。』となる。実際の試験の答案でこんなに長々と答えさせられる事はまず無いが、ただの暗記で済まさず、きちんと理解した上での答案が書けるようにしてもらいたいものだ。相当昔の話になるが、作問の都合上、ひっかけ問題として、滴定によって定まる過マンガン酸カリウム水溶液の濃度(大小関係が逆になる)について、その影響を聞いた事があったが、きちんと理解している生徒には造作も無く解答され、悔しい思いをした (?) 、否、感心させられた事がある。もっとも、問題の意図が伝わらず、無回答の答案も多かったが。
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※1 ごく僅か(薬さじの小さじの方で1杯でも多いかも)でいいです。滴定実験を実際に行うのが目的では無いの
で、秤量する必要はありませんし、目分量でいいです。過マンガン酸カリウムには感光性があるので、精度の高
い滴定実験を行うのであれば、細心の注意を払って、褐色瓶や褐色ビュレット等を用いるのが望ましいです。
ただ、元々黒紫色の固体物質が、水に溶けて赤紫色(ワインレッド)に変化する様はそこそこ感動ものなので、
色の変化を確認させるのであれば、敢えて透明なものを用いるのが良いでしょう。また、滴定に用いる過マンガ
ン酸カリウム水溶液は2.00×10-3mol/Lなどといった、非常に希薄なものが多いのですが、それでも色合い的
にはしっかり赤紫色に見える点も確認させたいと思います。
※2 普段溶液を調整するのに、純水のつもりで、薬局でコンタクトレンズ洗浄用の精製水を買って使ってます。
過マンガン酸カリウム水溶液の調整にはこれを用いているのですが、市販のオキシドールの希釈には、経験上
ペットボトルの飲料水(各種ミネラル等不純物含有)の方が、硫酸酸性の条件にしなかった場合に生成する酸化
マンガン(Ⅳ)(二酸化マンガン)の微粒子の集まり(ダマ)ができ易い(ミネラルNa+,Ca2+,Mg2+等による
コロイドの凝析?)印象で、敢えてペットボトルの水を用いています。未だ水道水は試してませんが、厳密な実
験ではありませんし、コストを押さえる目的で使用するのも有りかと思います。
※3 w/v% は濃度の単位で、質量体積パーセント、すなわち100mLの溶液中に溶質が何g溶けているか表します。
市販の消毒液(オキシドール、消毒用エタノール等々)はこの単位を用いている事が多いようです。高校課程、否、
入試の化学ではw/w %;質量パーセント濃度(お馴染みの溶液100g中に溶質が何g溶けているか) 位しか扱
いませんが、v/v%;体積パーセント濃度(溶液100mL中溶質が何mL溶けているか。混合気体とかだった
らモル比から直に計算できますけれど、溶液だと加成性が成り立たないので面倒。2018東京慈恵会医科大学の
過去問にあるので、興味のある方はどうぞ)なんてのも当然有ります。
※4 もちろん、コニカルビーカーの目盛りなんて不正確極まりない(100mL取った筈の水溶液をコニカルビーカー
2つで二等分して50mLずつにならない (?!) の事実に愕然とした事があります。)ので、きちんと定量実験を
するのなら、滴定実験の三種の神器(ホールピペット、メスフラスコ、ビュレット)を用意して本格的に実験し
て下さい。本実験の目的はあくまで現象の確認であり、費用と時間は極力省く方針です。
※5 酸素の発泡の様子ですが、(ⅰ),(ⅱ)の反応式からは硫酸酸性下の方が激しく起こると考えられますが、実際に
観察してみると、硫酸を加えていない方が激しく発泡します。これは、生じた酸化マンガン(Ⅳ)の微粒子があた
かも均一触媒であるかのごとく、溶液の至る所で触媒作用を示し酸素を発生させるから。(いや、酸化マンガン
(Ⅳ)はあくまで不均一触媒でしょうけれど、微粒子となって溶液全体を舞う事で表面積が著しく増加しています
からね。また、均一触媒と不均一触媒の記事でも書きますかね。)過マンガン酸カリウム水溶液を駒込ピペット
から勢いよく注入するだけでも過酸化水素の分解は促進されますから、発砲を激しく見せたいのなら、元より
滴定する事が目的ではありませんので、衝撃による分解の要素を追加するのもありですかね。生徒が気付いて
クレームをつけてくれば、しめたものなのですが。ちなみに、硫酸酸性条件の方もしっかり発砲している様子
が、コニカルビーカーのガラス面に気泡がつく事で確認できるのですが、如何せん地味です。