京都医塾化学科の神谷です。このシリーズでは, ノーベル化学賞にまつわる様々な化学史の偉人たちのよもやま話をつづっていきます。
前回のおさらい
誰でも知っている周期表を作り出したメンデレーエフ。ところが, 彼はある人物に敗れ, ノーベル賞を受賞できませんでした。1906年, メンデレーエフに一票差で勝利しノーベル化学賞を受賞したフランスの化学者, アンリ・モアッサンとはいったいどんな業績を残した人物だったのでしょうか…?
テフロン加工のフライパンはモアッサンのおかげ!?
メンデレーエフに比べれば圧倒的に知名度の落ちるモアッサンですが, 授賞理由となった彼の功績は2つ※1ありました。そのうちのひとつが「フッ素の単離」(フッ素原子(F)を含む化合物から単体のフッ素(F2)を分離すること)です。
フライパンに油や焦げが付きにくいよう表面加工するのに使われたり(フッ素樹脂(テフロン)コーティング), 虫歯予防の成分として歯磨き粉にフッ化物が配合されていたり, 現代では我々の身近で多く利用されているフッ素ですが, 実は単体のフッ素(F2)は非常に危険な猛毒のガス※2です。
酸化力(他の物質から電子を奪う力)が単体の中で最も強く, ほとんどすべての元素と爆発的に反応する上に, 化学物質と極めて反応しにくいガラスや白金(プラチナ)さえもボロボロにしてしまうため, 実験器具は壊れるし保管もできない(容器が壊れてしまう!)…このため, フッ素の単離は困難を極めました。
危険な実験
元素としてのフッ素は1812年, フランスのアンペール(電流の単位A(アンペア)の由来となったアンペール)によって命名され, フッ化水素(HF)のなかに含まれていることが分かっていました。その後70年あまり, 様々な化学者が単離に挑戦しましたが誰も成功せず, フッ素中毒や爆発事故によって死傷者が続出したのです。実験がどれほど危険なものだったか, Wikipedeaのフッ素の項からその様子を抜粋してみます。
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“1800年、イタリアのアレッサンドロ・ボルタが発見した電池が、電気分解という元素発見にきわめて有効な武器をもたらした。デービーは1806年から電気化学の研究を始めると、カリウム、ナトリウム、カルシウム、ストロンチウム、マグネシウム、バリウム、ホウ素を次々と単離した。しかし1813年の実験では、電気分解の結果、漏れ出たフッ素で短時間の中毒に陥ってしまう。デービーの能力を持ってしてもフッ素は単離できなかった。(…)アイルランドのクノックス兄弟は実験中に中毒になり、1人は3年間寝たきりになってしまう。ベルギーのPaulin Louyetとフランスのジェローム・ニクレも相次いで死亡する。1869年、ジョージ・ゴアは無水フッ化水素に直流電流を流して、水素とフッ素を得たが、即座に爆発的な反応が起きた。しかし、偶然にもけがひとつなかったという。
1886年、ようやくアンリ・モアッサンが単離に成功する。(…)しかしモアッサンも無傷というわけにはいかず、この実験の過程で片目の視力を失っている。フッ素単離の功績から、1906年のノーベル化学賞はモアッサンが獲得した。翌年、モアッサンは急死しているが、フッ素単離と急死との関係は不明である。“
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…なんとも凄まじいですね。モアッサンがフッ素の単離に成功した要因は, フッ素を捕集する容器に蛍石(フッ化カルシウム)を使ったこと, 爆発を防ぐため電気分解を-50℃という低温下で進めたことなど, 様々な工夫を重ねたことにあります。あらかじめフッ素がくっついているフッ化カルシウムならば, フッ素に攻撃されても平気なわけですね。また, モアッサンは偶然にも助けられました。フッ素の単離に一度成功したあと, フランス科学アカデミーの化学者たちの前で再現実験を行いましたが, 失敗してしまいます。実は最初に成功したのは材料であるフッ化水素にたまたま不純物としてフッ化カリウムが含まれていたためで, 再現実験ではそれが含まれていなかったのです。その後, 実験を繰り返してフッ化カリウムの必要性に気づき, フッ素の単離方法を確立させることができました。
このように多くの犠牲を払い, 様々な困難の果てにようやく成功したフッ素の単離。ノーベル化学賞の選考にも影響したことでしょう※3。引用部分にもありますが, モアッサンはノーベル化学賞の受賞後すぐに54歳で急死。死因は急性虫垂炎とされています。そして彼とノーベル賞を争ったメンデレーエフも, 奇しくも同じ1907年に亡くなっています。享年は72歳, インフルエンザが原因でした。
次回はメンデレーエフの「最期の言葉」の謎に迫ります。
(註)
※1 モアッサンのもうひとつの業績については, 稿を改めて書く予定です。人工ダイアモンドや軽くて丈夫なゴルフクラブ・テニスラケットが作れるようになったのも, モアッサンのおかげかも…?!
※2 老化やがんの原因となる「活性酸素」や「混ぜるな危険」の塩素(Cl2)も強い毒性を持ちますが, フッ素(F2)はこれらをさらに凶悪にした物質だと考えてください。この危険性の高さから, フッ素が本格的に利用されるようになるのはモアッサンの単離成功後, 更に40年以上の時を経てのことになります。フッ素については興味深いエピソードがたくさんあるので, 別にシリーズ記事を書く予定です!
※3 メンデレーエフがノーベル化学賞を受賞できなかった大きな理由のひとつは, 当時絶大な影響力を持っていた大化学者アレニウスが反対したことにあるようです。アレニウスは, メンデレーエフが昔, 彼の「電離説」※4を批判したことに対して恨みを抱いていたそうです。
※4 「電離説」とは「電解質(例えばNaClなど)は電気を流さなくても水中で一定の割合で電離している」という説です。今では当たり前だと思う人も多いかも知れませんが, NaClのような安定な物質(湿った食塩をフライパンで炒っても変質したりしないですよね!)が水に溶かしただけで何のエネルギーも加えずに分解するなんて, 当時の常識には反した説でした。電離説とアレニウスの酸・塩基の定義については, またいずれ!