京都医塾化学科の神谷です。このシリーズでは, ノーベル化学賞にまつわる様々な化学史の偉人たちのよもやま話をつづっていく予定です。さて, 第1回の登場人物は…
周期表の生みの親
化学の授業の最初に習うものといえば, 元素記号と周期表ですよね。そして, その周期表を作った人物といえばロシアの化学者, ドミトリ・メンデレーエフです。右に載せたような, ひげもじゃの写真に見覚えがある人も多いのではないでしょうか。彼は元素を原子量※1(原子の重さ)の順に並べると周期性を示すことを発見し, また, この周期律に従って未発見の元素の性質を予言して見事に的中させました※2。
のちに原子の構造(陽子と中性子でできた原子核のまわりを電子が飛び回っている)が判明し, 元素を原子量ではなく原子番号(原子核中の陽子の数)の順で並べることになりました※3が, メンデレーエフが作った周期表は今も科学全体の地図であり, 重要なスタート地点であり続けています。
周期表発見にまつわるエピソード
周期表の発見の経緯は, 一説によると以下のようなものでした。元素を性質ごとに分類しようと考えていたメンデレーエフは, 連日の研究に疲れて居眠りをしてしまいました。夢の中で完璧な周期表を見た彼は, 起きてすぐにその表を書き留めました。のちに修正が必要になったのは1か所だけだったそうです。
また, 他の説によるとメンデレーエフはトランプゲームの「ソリティア」が好きで, 元素名を書き込んだカードを原子量順に並べ替えるうちに周期表を思いついたとも言われています。ちょっと親近感が湧きますね。
実は…ノーベル賞を受賞していない!?
そんな偉大な業績を残したメンデレーエフ, 当然ノーベル化学賞を受賞していると思いますよね…?ところが, 彼は一票差である人物に敗れ, ノーベル賞を受賞できなかったのです。ノーベル賞は1901年に始まり, メンデレーエフは1906年に第6回の受賞候補に選ばれたのですが, 彼に一票差で勝利したのがフランスの化学者, アンリ・モアッサンでした。さて, モアッサンとはいったいどんな業績を残した人物だったのでしょうか?次回に続きます!
※1 原子量とは「原子の質量(重さ)の基準」です。(例:水素Hは1, 炭素Cは12)
※2 メンデレーエフは元素を原子量の順に配列し, 性質が似た元素が同じ列に並ぶようにしました。そして性質が異なる原子が同じ列に来ないように, 空欄(=未知の元素)を含んだ表を作成したのです(この大胆さがメンデレーエフの優れた点でした)。そして周期性に従って未知の元素の性質を予言しました。例えば, 原子量が65~75で性質がアルミニウムに似ている元素とケイ素に似ている元素の存在を予言し, のちにこの特徴にピッタリあてはまるガリウムとゲルマニウムが発見されたため, 周期表は高く評価されるようになりました。
※3 元素を原子量の順に並べると, 貴ガスで反応性の低いアルゴンとアルカリ金属で反応性が高いカリウムの位置が入れ替わってしまうなど大きな矛盾が生じるのですが, 原子番号の順なら, この矛盾は解消されます。原子量の載っている周期表をよく見てみましょう!