みなさまこんにちは。京都医塾の重富です。今日もブログをご覧いただきありがとうございます。
はじめに
京都医塾に通っている生徒さんは朝8時から夜10時まで、自分の夢に向けて自身の最大限の力をもって勉強に立ち向かっています。そんな生徒さんの熱意を私も間近に見ているわけですが、いろいろな悩みも聞きます。その中で多いのが「肩ががちがちなんです…」とか「腰が痛いんです…」とか身体の不調に関することです。そういう時にはやはり運動が大事。とはいえそんな時間はない。
そんな時に推奨しているのが散歩です。
このようにマップも作っています。京都医塾は京都の中心部、四条烏丸にあります。このマップで紹介している場所以外にも少し歩けば多くの寺院や史跡など見どころがたくさんあります。
私のブログでは「京都医塾walk」と称して、京都医塾周辺にある見どころをたくさん紹介していければと思っています。ということで早速行ってみましょう。
御池通の見どころ
今回のスタートは地下鉄烏丸御池駅。京都市の2つの地下鉄路線、烏丸線と東西線が交わる交通の便のよいところです。周辺はビジネス街でオフィスビルが林立しています。
ここで知らない方もいらっしゃると思いますので、京都の交差点の話をしておこうと思います。
京都市の中心部は平安京以来の碁盤の目状になっています。その通り一つ一つに名前がついており、交差点は交差する通りを組み合わせた名称で呼ばれます。この「烏丸御池」は南北の烏丸通と東西の御池通が交わる交差点だというわけです。
今回は東西を走る御池通の見どころを少し紹介したいと思います。
御池通はこの写真のように片側4車線の非常に広い通りとなっています。バスが走る主要な通りでも片側2車線なことが多いので、その広さがわかっていただけるかと思います。
ここまで広いのには理由があります。太平洋戦争の時代までさかのぼります。当時、空襲による火災が発生した場合に重要施設への延焼を防ぐ目的で防火帯を設けるために建物を強制的に撤去することが行われていました。これを建物疎開といいます。京都市内では1万戸もの建物が強制的に撤去されたといわれていますが、この近辺も対象となりました。この広い通りはその跡地に作られたものです。京都市は太平洋戦争での空襲の被害が比較的少ない都市だということが知られています。ただ、当時から国内有数の大都市だったため、このように空襲への備えもしてあったというわけです。
京都市役所
そのまま東に歩いて10分ほど進むと河原町御池交差点に突き当たります。その北西にあるのが京都市役所です。この建物は京都市役所本庁舎になります。京都市役所は1898(明治31)年からこの地、に存在し、この外観の本庁舎は1927(昭和2)年に竣工しました。外観はレトロですが、昨年改修工事が終わり、きれいになっています。
ちなみに私は京都市に引っ越して以来この本庁舎の建物に入ったことがありません。引越しの転入届や住民票の発行などは区役所での手続きとなるので、本庁舎に用事があることはほとんどありません。同じ境遇の京都市民の方は意外と多いのではないでしょうか…?
ホテルオークラ京都からの景色
そして右の写真の奥に見える大きな建物。角度の関係で、そんなに高く見えないですが17階建ての大きな建物です。
大きな建物の少ないこの辺りではひときわ目立ちます。こちらはホテルオークラ京都で、創業130年を超える歴史あるホテルです。1891(明治24)年、当時のロシア帝国皇太子が来日し、このホテルの前身である常盤ホテルに宿泊しました。その宿泊期間に起こったのが有名な大津事件です。大津にて襲撃にあった皇太子は引き返してホテルで療養をしていました。事の重大さに明治天皇も皇太子見舞いのためにここを訪れており、教科書にも載るような歴史の一部となっています。
この建物が完成したのは今から30年ほど前ですが、この巨大さが原因か、同時期に完成した京都駅ビルと同様に景観にそぐわないという反対運動も起こったようです。建物の高さは58メートル。現在では京都市内の建築物には高さ制限がありますのでこの大きさの建築はかなり難しいものになっているかと思われます。
この高さの分、最上階からは京都の景色が一望できます。参考までに4年ほど前の写真ですが、最上階から見る風景を添えておきます。これまで歩いてきた側を見ています。右下に見える市役所の広場がまだ工事中ですね。市街地から、その向こうに広がる山までかなり遠くまで見通せることがわかっていただけると思います。
いかがでしたでしょうか。
初回でしたが、寺院も史跡も登場せず、定番の京都から外れて近代の話をずっとしていたような気がします。
ただ、そこは歴史ある京都。近代といえども語る場所、出来事はやっぱりたくさんあります。
普段イメージされる京都とはまた違うものを感じていただければ幸いです。