はじめに
育児休暇中の国語科講師、石田です。
育児休暇を利用して、日々知識のインプットに努めております。
で、せっかくなら知識の整理のためにも書き物をしておこうということで、ブックレビューをしてみます。
せっかくなら医系予備校国語科講師として、育児・教育・医療などのフィールドに関係あるものをと思いまして、今回は『子どものための精神医学(2017初版/医学書院/滝川一廣著)』を読みましたので、感想を述べてみようと思います。
この本を読むに至ったきっかけはいろいろとあるのですが、特に、
- 義母(妻の母)が臨床心理士で、発達・臨床心理の勉強に薦めてくれた(というか貸してくれた)
- 帯に故中井久夫氏の推薦コメントがあった『「ぼくが若い頃だったら、さっそく買って読んだろうなぁ。」』←この書に限らず、なんでも読む人なのでは?と思わなくもない
以上の2点が大きなきっかけです。中井久夫氏の著作をいくつか読んだことがあって、親身さと知性の両方が滲む文体が好きでした。今年8月8日に亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。
精神医学・臨床心理学のような領域の本を読むことは、普段ありませんでした。大学の教養科目で精神医学史のようなものに触れて、いくらか文献を読んだことはありますが、心についての学びの実践の場でもある教育に本格的に携わっているわけでもありませんでしたので、レポートを出したそばから内容が抜けていってしまった気がします(たしかフロイトが『夢判断』を書いたとき、書くに至るまでの、フロイトの心もよう、無意識について、だったような・・・)。この仕事に就くんなら、もうちょっと勉強しておけばよかったなあ・・・。
本書の章立て
第Ⅰ部 はじめに知っておきたいこと
第Ⅱ部 育つ側のむずかしさ
第Ⅲ部 育てる側のむずかしさ
第Ⅳ部 社会に出てゆくむずかしさ
『第Ⅰ部 はじめに知っておきたいこと』を読んで
裏表紙側の帯に『素手で読める児童精神医学の基本書』とあります。『素手で』っていったいどういうことやねんと一瞬分かりかねましたが、「予備知識なしで」ってことでしょうね。実際、児童精神医学の具体的な内容にⅡ部から入っていくのですが、第Ⅰ部で導入された考え方が随所で生きてきます。無学ゆえ大変ありがたい構成になっています。ありがとうございます。
特に、フロイトについて、僕は非常に表層的で偏った捉え方をしていたのだなあと気づかされました。フロイトって、俗に「性欲ですべてを片付けるおじさん」みたいな言われ方をしませんか?代表的なワードが「リビドー(性欲動)」「小児性愛」ですもんね。
これらの用語を俗的な(あるいは大人からの)視点で見れば、単に「エロい」目で対象を欲望する、という捉え方になるでしょう。
でも、実はもっと根源的な(子どもからの・赤ちゃんからの)捉え方をするべきで、つまり「授乳」のような、肌と肌が触れ、親密で愛着的な関係を築く行為が、子どもの「性愛(エロス)」を育んでいくんですね。全然エロくありません。この意味でのエロスというのは、いわゆる「プラトニック」な愛のことで、愛情への純粋な希求をいいます。
そういえば、子どもの養育においては、たしかにすべてが流れ作業のように行われるわけではありません。授乳一つとってみても目と目を合わせて行いますし、おむつ替えにしても、快感なのかなんだか知りませんが、浮かぶ笑み(生理的微笑?)に対して養育者側は反応せずにはいられない感覚があります。まあうちは授乳を「胸に抱いて」行っているわけではないし(哺乳瓶なんで)、昼夜の別を弁えてもらうためにも、夜は手早く済ませてるんで、多少1900年ごろの想定とは違うかも。淡白に思われるかもしれませんが。
以上は児童の精神発達についてのフロイトの見方です。フロイトは発達における「関係」の側面を強調します。「関係」とは、『まわりの世界とより深く、より広くかかわっていくこと』という意味です。親子関係から始まる周囲の人間とのかかわりのことを言っていますね。
一方で、発達においては「認識」も重要であると本書は紹介しています。ピアジェの発達論は人間の合理的知性がいかに能動的・主体的に「認知」を超えた「認識」能力を伸長させていくかについて説明しています。
以上、脱線を含みましたが、児童の精神発達というのは、フロイトが強調した「関係」を横軸、そしてもう一人、ピアジェが強調した「認識」を縦軸として進んでいくと本書では説明されています。この図式は本書において各章の説明の仕方に通底されており、各論的な内容の理解におおいに役立ちます。
次回は第Ⅱ部以降について、内容の紹介と感想を述べていきたいと思います。
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