はじめに
育児休暇中の国語科講師、石田です。
育児休暇を利用して、日々知識のインプットに努めております。
で、せっかくなら知識の整理のためにも書き物をしておこうということで、ブックレビューをしてみます。
医系予備校国語科講師として、育児・教育・医療などのフィールドに関係あるものをと思いまして、今回は『子どものための精神医学(2017初版/医学書院/滝川一廣著)』を読みましたので、感想を述べてみようと思います。
前回の”勉強してみた”『子どものための精神医学』①では、「認識」を縦軸、「関係」を横軸として、両要素の絡み合いの中で子どもの発達がある、と著者が説明しているということを紹介しました。
今回は、第13章『子育てをめぐる問題』について、京都医塾国語科が編集している『社説集』収載の記事と絡めて考えてみたいと思います。
第13章『子育てをめぐる問題』
要約
関係(つながり)への意識を持つことが、生物学上の「生み手」としての親を、社会的な「育て手」としての親へと導く。それは裏を返せば、関係への意識さえあれば、「育て手」は「生み手」でなくともよいということである。つまり、子育ては社会の公共的・共同的営みとしての性格を深く持つのであり、江戸期の日本の子育て史を概観したときそれは明らかである。しかし明治に入り、身分制度の消失とともに子育てに関する各身分階層の共同的なシステムが崩れ、子育てが家庭単位の個別的なものへと変質した。さらに70年代(高度経済成長期)を境に、家庭の経済能力の向上から隣保的な相互扶助の必要性が低下し、個人意識が高まる中で、子育てはそれぞれの親の私的な営みとなった。
社説集:617号-11.学び直し 日本再生への大きな鍵だ/2022/11/06 京都新聞
労働者だけの支援や、はやりのIT人材育成に偏るべきではない。人口が急減する日本で、女性や高齢者が学び直し、働き手として活躍する意義は大きい。
北欧では保育士、介護士、准看護師などを一つにした総合ケア資格を作り、学び直しによる転職先の受け皿になっている。資格が細分化しすぎた日本も、柔軟性の高い職種の新設や育成へ参考にしてはどうか。
「リスキリング」という言葉が認知を広めています。アルファベットにすれば”re-skilling”、「再び-スキルを身につけること」の意です。リスキリングの定義は、「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること」です。例えば、DX化が推進される昨今、会社の通常業務に習熟するだけでなく、ITについて学ぶことは、個人のスキルアップになるだけではなく、会社にとっても大きな資産になるといえます。リスキリングは政府と企業が手を取り合って進めていくべきでしょう。
また日本は超高齢社会であり、今後さらに介護需要が増大することが予想されます。またその一方で、待機児童など、子育てへのケアの薄さも指摘されています。
その意味では、社会人として働く中でも、介護・保育などについて学びを得られる環境を整える必要があるでしょう。それは定年後の高齢者の就労を支えていく上でも重要な取り組みです。
本書内容と社説集記事を参考に思うこと
昨今、虐待の一種として「ネグレクト」という言葉がよく取り上げられます。ネグレクトとは「無視すること」ですから、簡単に言えば親子でありながら親が子どもを無視するということです。もう少し拡大して言えば、子どもの育ちに関心を持たなかったり、子どもの気持ちを顧慮しないことです。
虐待という言葉からはかなり暴力的なイメージを喚起されますが(「虐」という字の成り立ちは虎が人を爪で掻くさまである、という説があります)、「無関心である」というのも十分「不適切な養育」です。
養育するおとなが親であれ、そうでない者であれ、子どもに対して深い関係への意識を持つことが、その発達に大きく寄与するのではないでしょうか。
とすると、「保育」に携わる人々は、その関係への意識を持続的に、また受け持つ子供に対して等しく差し向けていくことが求められるでしょう。
そうした要求があるときに、現在の保育現場は十分なマンパワーを確保できているでしょうか。待機児童などはもってのほかですが、保育士一人当たりが受け持つ子どもが多すぎる現状も問題です。残念ながらここ最近、保育現場での虐待の報道がしばしばなされています。マンパワー不足から保育士の労働環境が劣悪になれば、その皺寄せは必ず子どもにきます。
そこで例えば、定年を迎えた高齢者が在職中、もしくは定年後にスキルを身につけ、保育に携われるようにしてはどうでしょうか。まず保育現場のマンパワー不足改善になりますし、高齢者の生きがい獲得にもつながります。地域の活性化にも一役買うでしょう。
どの子どもに対しても、その成長・発達を見守るあたたかな目が注がれるように、社会全体で工夫していかなくてはならないと思います。