皆さん、こんにちは、こんばんは。本日は円町校の江島が【日本史とともに歩む、京都の神社仏閣】第2弾をお送りさせていただきます。
教王護国寺(東寺)
平安京遷都(794年)とともに建立された平安時代を代表する寺院です。もともと平安京の東側に位置するという意味を込めて名付けられた「東寺」ですが、空海に託された後、教王護国寺と名乗るようになりました。
「京都=お寺」というイメージは根強いですが、実は平安京内には意外にお寺が少なく、この教王護国寺も何とかギリギリ平安京の範囲内に入っているという感じなんですね。それもそのはず、平安京遷都を試みた桓武天皇は、奈良時代の仏教政治からの脱却を目指していたので、平安京内に寺院がたくさんあったとなれば、それはもはや奈良時代(平城京)の二の舞ですね。だからそうならないように仕組んだ。桓武天皇の息子の嵯峨天皇(兄の平城天皇と争って勝った人ですね)の代に変わり、その時に先述のとおり空海(弘法大師)にこの寺を託すことになりました。空海は唐に渡って新たな仏教を学び、真言宗をおこした超有名人。天台宗の最澄と並んで、平安時代初期の大スターです。彼らの仏教は奈良仏教と対比的に密教と称され、絶大な人気を誇ります。
もっとも有名な建物は「五重塔」でしょう。高さが55mもあり、木造の建造物としては日本一の高さを誇ります。個人的には、京都のランドマークと言えば、京都タワーではなく東寺の五重塔で決まりだと思っています。しかし、歴史的意義があるのは、境内西側に位置する「御影堂」でしょう。弘法大師様が住んでいらっしゃった場所なのですが、五重塔があまりにも有名すぎて。
春になると桜の花が綺麗に咲き誇り、お花見スポットになりますし、夏になるとライトアップや、プロジェクションマッピングを使ったイベントが催されるなど、一年中観光客を飽きさせない場所になっています。1994年、前回紹介した鹿苑寺(金閣)と同じタイミングで世界遺産に登録されています。
清水寺
続いては、清水寺です。778年に開創された、正確には奈良時代末期の寺院です。奈良で修業をした僧が、初代征夷大将軍の坂上田村麻呂と出会い、僧の願いを聞き入れ建立されたのが、清水寺なのです。このことから、意外にも坂上田村麻呂建立の寺院とされています。
宗派としては奈良仏教、南都六宗の1つ、法相宗になります(正確には今は形を変え独立しているらしいですが)。毎年、年末になると「今年の漢字」が発表されますが、ここ清水寺で発表されるのですよ。その時点で全国区の寺院と言えるでしょう。清水寺はなかなかに波乱万丈な人生を歩んでおり、焼失回数はなんと9回。延暦寺の僧兵やら、応仁の乱やらで燃えに燃えました。
歴史の教科書を読んでいると、江戸時代にもかかわらず、主な建造物に「清水寺 本堂」って書いてある。いやいや、1000年くらい前のお寺なのに。10年前に売り出された商品がずっと「新発売」って言われてる気分ですね。何といってもその「本堂」が有名ですね。舞台があるところです。なにせ、思い切って重大な決意をすることを意味する「清水の舞台から飛び降りる」ということわざがあるくらいですから。みなさんも「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで志望校を決め、受験勉強に励んでいらっしゃるでしょうから、一度は清水の舞台に立ってみたいものですよね。よりその気持ちが引き締まるかもしれません。
また、議論や思考が進まず、同じところで巡っていることを意味する「堂々巡り」という言葉も、清水寺の本堂(お堂)をぐるぐる回ることから生まれたとされています。受験勉強に悩んで「堂々巡り」になるまえに、お近くの信頼できる先生や、我々京都医塾に頼ってくださいね。やはり清水寺も1994年に世界遺産に登録されています。
最後に
また今回も2か所の紹介に留まりました。次こそは必ず!と思って毎回書いております。
それでは、本日は以上です。お疲れさまでした。