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日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第8弾

日本史とともに歩む、京都の神社仏閣 第8弾

 皆さん、こんにちは、こんばんは。本日は円町校の江島が【日本史とともに歩む、京都の神社仏閣】第8弾をお送りさせていただきます。

神泉苑

 京都市中京区、JR二条駅からほどない場所に位置する、東寺(教王護国寺)真言宗の寺院です。清水寺や金閣寺がスーパースター過ぎて、京都の人でもあまり馴染みのないところかもしれませんが、日本歴史の上ではとっても重要な場所です。794年、平安京遷都と同時期に、桓武天皇により造営されたとされています。それ以来、歴代天皇の行幸の場として親しまれていたり、日照りが続いたときには、弘法大師・空海が雨乞いの祈りを捧げた場でもあったそうで、なかなかユニークな一面を持っていますね。

 この神泉苑、863年に日本で初めて「御霊会」が行われた場として有名なんです。「御霊会」というのは、「政治的敗者や、不慮の死を迎えてしまった人々の霊を慰める行事」のことを指します。当時流行していた疫病に歯止めをかける儀式として行われたのがもとになっているようです。平安時代は、疫病や事故などの不運が連続すると、それは「死者の怨念のしわざだ」って結びつける傾向が強かったんです。784年、長岡京遷都の後に、桓武天皇の側近であった藤原種継という人が暗殺されてしまったのですが、その犯人はなんと桓武天皇の弟、早良親王ってことになった。彼は容疑を否定したまま亡くなってしまうのですが、その後、おそらく冤罪だったということにみんなが気づいたんです。そこから病気が流行しだすわ、冤罪をかけてしまったということでみんなテンションが下がってるわで、見るに見かねた和気清麻呂という人が、「皆の心の平安を目指しましょう」ということで、794年、平安京に遷都したくらいですからね。

 現在も行われている北野天満宮のお祭りも、この「御霊信仰」をもとにしたもので、これは菅原道真に対し、「怒りをお鎮めください」ということですね。詳しい話は第1弾にてご覧ください。これだけではありません。あの祇園祭だって、ルーツをたどれば「御霊信仰」に行き着くのですね。これほどに由緒ある「御霊信仰」発祥の地の紹介でした。

相国寺

 次は相国寺という寺院です。同志社大学今出川キャンパスに隠れるように位置するお寺で、五山・十刹の制(詳しくは第5弾見てね)によって定められた、京都五山ナンバー2の称号を得た場所なんです。とっても凄いけど、やっぱり臨済宗ですね。14世紀の末、室町幕府三代将軍の足利義満によって創建され(開山したのは夢想礎石)ましたが、創建当時のものは応仁の乱などで焼けてしまっており、17世紀に入ってから修築されたものが現存しているようです。「相国」という言葉は、もとは中国における「宰相」を指す言葉だそうで、日本では「太政大臣」を示します。かの有名な平清盛は、武家として初めて太政大臣になった人で、「入道相国」とも呼ばれていました(彼は「六波羅殿」ってあだ名もあって、色々な呼び方をされるんですね)。足利義満も、征夷大将軍として始めて太政大臣になった人で、彼もやっぱり「相国」なんです。それにちなんで名づけられたのがこの相国寺です。襖や天井に描かれた龍の姿が印象的なので、同志社大学方面にお立ち寄りの際は、是非拝観してみてはいかかでしょうか。

 本日は以上です。お疲れ様でした。

投稿者:江島 祥人

  • 役職
    英語科主任/英語科講師
  • 講師歴・勤務歴
    7年
  • 出身大学
    大阪市立大学経済学部
  • 特技・資格
    特に目立ったものはないです
  • 趣味
    音楽鑑賞
  • 出身地
    京都府
  • お勧めの本
    武器としての決断思考

受験生への一言
初めて出会う事柄に対して、出来る限り「考えて」みてください。自分の価値観と照らし合わせてみて、ああだこうだと「腑に落ちる」まで考えてはじめてそれが知識となり、皆さんの力となります。