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日本史とともに歩む、神社仏閣 第13弾

日本史とともに歩む、神社仏閣 第13弾

 皆さん、こんにちは。本日は円町校の江島が【日本史とともに歩む、神社仏閣】第13弾をお送りさせていただきます。今回も京都を離れ、“奈良仏教特集”です。

東大寺

 本日1つ目に紹介するのは、言わずと知れた東大寺です。奈良仏教を代表する華厳宗の大本山にあたります。本格的に東大寺造営が開始されたのは、741年に、聖武天皇が“国分寺建立の詔”を発布してからになるそうです。聖武天皇は、おそらく奈良時代で最も有名な天皇だと思うのですが、結構悩みがちな人だったんです。特に740年に身内が、九州でやや身勝手な反乱を起こし、簡単に鎮圧されてしまったことをきっかけに、「仏教」にすがってしまうのです。仏教によって国に平安をもたらすという「鎮護国家思想」にのめりこんでいきます。先ほどの国分寺建立の詔もその1つです。仲睦まじい関係だった、奥様の光明皇太后とともに趣味は、「散財」と「引っ越し」(笑)。天皇の引っ越しは、我々のものとは格が違います。だって「宮を移す」のだから、その経費と労力は凄まじいものです。全国に寺を建てるわ、引っ越しするわで、当時政権担当だった橘諸兄は、この夫婦の散財癖にかなり苦労させられたようです。国分寺建立の詔から、2年後、今度は“大仏造立の詔”が出されます。またお金がかかりますね…。752年、開眼供養の儀を最後に大仏は完成し、これは今でも東大寺を象徴するものになっていますね。他には、聖武天皇の遺品を収めた“正倉院”も有名ですね。愛する旦那様を亡くした光明皇太后は、彼との思い出の品を手元に置いておきたくなかったんですね。楽しかった頃の思い出が蘇ってくるのが、逆に辛いんです…そういうものです。南大門も有名だし、そこにいる金剛力士像も有名ですね。挙げだすとキリがありませんね。

 最後に、東大寺はなぜか、けっこう焼かれちゃうんです。源平合戦のときに、平清盛の指示によって焼かれるし、戦国時代に松永久秀という人にも焼かれてしまうし。日本史って結構放火魔が多いんですね(笑)。江戸時代になって建て直されたものがほとんどですが、それでも歴史にあふれた東大寺でした。

唐招提寺

 続きまして唐招提寺の紹介です。奈良仏教の律宗の総本山にあたる寺院です。奈良時代で最も有名な僧、鑑真に贈られた寺とされています。鑑真は戒律を日本に伝えるべく、命懸けで来日します。渡航中に失明してしまったというエピソードもよく知られていますね。その後東大寺で5年間過ごし、日本での律宗の開祖となります。

 戒律というのは、仏教信者が行うべき習慣や規則を示したもので、受戒(正式な僧侶になる)のために必要な要素とされています。鑑真はこの、「僧侶になるための正式なカリキュラム」を日本に伝えに来たのだとされています。聖武天皇や光明皇太后、そして娘の孝謙天皇も鑑真から戒を受けています。さすが仏教マニアの家族ですね。また、戒を受ける場を戒壇というのですが、最初は東大寺のみに限定されていたのですが、それでは遠方の方に不便だということで、九州の筑紫観世音寺、東国の下野薬師寺に戒壇を置きました。これらをあわせて本朝三戒壇と呼ぶこともあります。

 寺院の中心に、鑑真像が鎮座されていますが、基本的にこれはレプリカで、毎年夏の限られた時期のみ「本物」の姿を拝むことが出来ます。興味がある方は、その時期にあわせて拝観されるとよいでしょう。

 本日は以上です。お疲れ様でした。

投稿者:江島 祥人

  • 役職
    英語科主任/英語科講師
  • 講師歴・勤務歴
    7年
  • 出身大学
    大阪市立大学経済学部
  • 特技・資格
    特に目立ったものはないです
  • 趣味
    音楽鑑賞
  • 出身地
    京都府
  • お勧めの本
    武器としての決断思考

受験生への一言
初めて出会う事柄に対して、出来る限り「考えて」みてください。自分の価値観と照らし合わせてみて、ああだこうだと「腑に落ちる」まで考えてはじめてそれが知識となり、皆さんの力となります。