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日本史とともに歩む、神社仏閣 第14弾

日本史とともに歩む、神社仏閣 第14弾

 皆さん、こんにちは。本日は円町校の江島が「日本史とともに歩む、神社仏閣」第14弾をお送りさせていただきます。今回も出張版でお送りします。

永平寺

 まずは福井県にある永平寺です。鎌倉新仏教の1つ、曹洞宗の大本山にあたる寺院です。曹洞宗というのは、このブログシリーズでおそらく最多登場であろう、臨済宗と同じく禅宗の一派です。臨済宗は幕府権力と結びついてブランド化を図っていたのに対し、曹洞宗の開祖である道元という人が、もともと内大臣の子どもだったが故に、あまり権力に執着がなかったようで、ひっそりと教えを広めているタイプだったようです。ちなみに、道元は栄西の「弟子の弟子」くらいにあたる人物なので、両者が直接会うようなことはなかったみたいです。

 臨済宗は「公案問答」というスタイルを取っていた(詳しくは第3弾で)のですが、曹洞宗は「只管打坐」、ひたすら座禅に集中して、身も心もすっきりさせる(身心脱落)ことを目標にしていました。永平寺そのものは、道元が43歳のころに開かれましたが、弟子の懐奘(えじょう)という人に寺を譲り、自身は出身地の京都に帰り、余生を過ごしたそうです。福井県の山奥にある永平寺には、大学2回生の冬休みに訪れているのですが、境内を一周するのになかなか大変な思いをしました。まあそれも含めてとっても素敵なお寺です)笑

久遠寺

 2つ目は山梨県にある久遠寺です。かなりマイナーな感じがしますね。でも日本史的には重要なお寺なんです。先ほどと同じく、鎌倉新仏教の1つ、日蓮宗(法華宗)の総本山にあたる寺院です。開祖は日蓮という人で、安房国(現在の千葉県)の漁村の漁民の子として生まれました。延暦寺などで修業したのち、法華経を一途に愛し、題目(南無妙法蓮華経)を唱えてさえいればよいというスタイルの日蓮宗を開きました。法華至上主義が行き過ぎて、折伏(しゃくぶく:相手を強引に口説き落として入信させること)や、他宗批判、さらには政治批判が目立った人でもあります。このことから「日蓮宗=荒っぽい」というイメージを持たれることもしばしばあるようです。『立正安国論』という著書を通して、ときの執権・北条時頼に、「法華経を信じないと、国難が訪れますよ。例えば、外国が攻めてくるとか…」などと言いました。日蓮って熱い人間なので、言い過ぎちゃうんですね。それが時頼の怒りに触れ、伊豆に流されてしまいました。気づいた人もいらっしゃるかもしれませんが、彼の予言…当たってるんですね!だって、すぐ後に蒙古襲来(元寇)があるんだから。

 こんなスタイルがゆえに、なかなか受け入れづらい印象を持たれてしまうのですが、逆に「そんなロックな生き方が素敵」って感じる人もなかにはいますよね。そういったタイプには異様に好かれており、日蓮宗は熱心な信者が多いとされています。戦国時代でも一揆を組織して抵抗したり、仏教には異常に甘い江戸時代ですら、日蓮宗(正確には不受不施派)はその対象外となってしまうなど、不器用な感じが、日本史を教える人間として私は割と好きです。

本日は以上です。お疲れ様でした。

投稿者:江島 祥人

  • 役職
    英語科主任/英語科講師
  • 講師歴・勤務歴
    7年
  • 出身大学
    大阪市立大学経済学部
  • 特技・資格
    特に目立ったものはないです
  • 趣味
    音楽鑑賞
  • 出身地
    京都府
  • お勧めの本
    武器としての決断思考

受験生への一言
初めて出会う事柄に対して、出来る限り「考えて」みてください。自分の価値観と照らし合わせてみて、ああだこうだと「腑に落ちる」まで考えてはじめてそれが知識となり、皆さんの力となります。