こんにちは、京都医塾 国語科の内海です。今日は、現代文の勉強が皆さんの未来にどう繋がるのか、について話してみたいと思います。
「現代文」に対してよく耳にする疑問
僕は、非常勤の時代を含めると、およそ17年間国語講師として働いています。その中で、現代文が苦手・嫌いな生徒からたくさんの文句(笑)を聞いていきました。その一部を、以下に記してみます。
- 「現代文」なんて、“社会”に出てからいつ使うの?
- 「筆者」「作者」が満点を取れない問題なんて、意味無いやん!
- ていうか、問題を作った人って「筆者」「作者」じゃないし(笑)
などなどです。個人的に興味深いのは、どの地域のどの塾で話を聞いてみても、共通してこのようなコメントを聞くことができます。
では、上記のような疑問に対して、一介の国語講師としてお答えしたいと思います。
「現代文」とは、「思考の客観性」を高める教科
皆さんがよく耳にする、いわゆる「社会」なる環境には、言語情報があふれています。そして、我々はこの「言語」を用いて、自分ではない「他者」とコミュニケーションを行います。この時、自分ではない「他者」に自分の思いを伝えるためには、自分と他者の双方に共有される「武器」がなければなりません。その「武器」こそが「言語」なのです。
裏を返せば、この「言語」という武器は、自分と他者の双方にとって同じ“もの”として認識されなければなりません。これこそが、言語情報に期待されている「客観性」だと考えています。この「客観性」を持った武器がなければ、我々は他者の心情の推測に大きな困難を抱えることになるでしょう。実際、共通した「言語」を持たない動物達が考えていることを100%は理解できないことが、その一つの証と言えます。
「現代文」は、どう活きる?
話を、皆さんのモチベーションが湧きやすい話に引き落としましょう。
繰り返し述べている「思考の客観性」。これは、皆さんが目指している「大学」の中で、間違いなく問われる能力です。なぜなら、「大学」とは何らかの専門的学問について知識を深める場であるからです。そして皆さんはこの何らかの専門的学問に関する知識を、「専門書」や「論文」などを通じて獲得することになります。ここに、「現代文」を学ぶ意義があります。
例えば、著者が自身の「専門書」や「論文」にこめた「考え」を”100”と表現します。さて、皆さんがこれらを読むときに獲得しなければならない知識を数字で表すならば、それはいくつでしょうか?
・・・答は、100です。99でも101でもダメです。まずは、著者が著作に込めた情報を、そのまま読み取れなければなりません。これが達成されなければ、卒業論文の執筆はおろか、その地盤となる専門書の読解すら果たせません。この「100/100の読解」の鍛錬の場が、「現代文」だと捉えてください。
最後に
現代は、SNSなどの普及もあり、多くの言語情報が皆さんの周りに蔓延しています。その数多の言語情報を適切に処理できる力を鍛えるためにも、ぜひ「現代文」という科目を利用してみてください。